最高峰クレジットカードと言えばダイナースブログ:07 1 18
ボクの家は一年中、
父親の知らない秘密でいっぱいだった。
お母さんとお姉ちゃんとボクは、
クリスマスも誕生日も雛祭りも、
ショートケーキを囲み歌を歌い写真を撮り、
イベントはきちんと三人で迎えてきた。
ボクとお母さんが、
また、お姉ちゃんとお母さんが冷戦状態であっても、
父親が家族の出来事に
口を挟むことは殆どなかった。
仕事やつき合いで
いつも午前様か単身赴任だった生活も、
ようやく落ち着いた頃には、
もう娘達は部活や試験や遊びに忙しい学生になっていて、
家族みんなで食卓を囲むこともあまりなくなっていた。
そして就職、独立、結婚…
ますます距離が離れてゆく娘達に、
これが一般的な父親と娘のスタンスだと、
父親の方も割り切っていたのかもしれない。
「ちょっと具合が悪いらしいの」
お母さんから電話を受け実家に行くと、
父親は布団の中から出ようとしなかった…
相変わらずの病院嫌い。
必死の説得で、
やっとのことで病院へ行かせると即入院となり
「ご家族の方は覚悟を決めるように」
という厳しい言葉までいただいた。
上野のお姉ちゃんも呼び戻され、
お母さんは何度も
「好きに生きてきたんだから、いいよね」と言った。
入院した当初、ボクがお見舞いに行っても、
父親は全く起きあがる気配すら見せなかった。
病室を出た後は毎回、
これが父親の姿の見納めなのではと不安になった。
そんな父親が、
初めてボクの息子達を病室に連れて入った瞬間、
電気のスイッチを入れたような輝きを放った。
父親は身体をゆっくりと起こし、
そして短く「おっ」と言った。
昔、新聞を読んでいる父親が顔をあげて、
ボクの運んだ晩酌のビールを見つけた時のあの顔だった。
お子様達との穏やかな空気に包まれて、
何と幸せそうな様子だろう。
もちろん、それからボクの見舞いは必ず「孫持参」となった。