世界中の空港ラウンジを快適に過ごすブログ:20 11 18
家内がPTAの副会長をしていた頃には、
わしは副会長のご主人と呼ばれていました。
入れ替わりでわしが会長になったとき、
家内が会長の奥さんと呼ばれるようになるのに
そう日数はかかりませんでした。
いろんな行事で衆人環視の中に立つことによって、
顔を覚えられてしまいました。
道を歩いていると
見知らぬ方から挨拶をして頂くことが多くなってきました。
そんなある日の6時、
狭い道を横断しようと歩道の前に一人立ったときのことです。
信号は赤でしたが車は見えません。
以前のわしなら赤信号を無視して渡っていたでしょうが、
その時は信号のボタンを押して、青信号になるのをむなしく待ちました。
誰かに見られているというブレーキがかかったからです。
お子さんの頃、親に内緒で危ない冒険をしたとき、
親には筒抜けであった経験があります。
親には見られていないはずなのにと不思議でしたが、
誰かが見かけて親のネットワークで知らせていたのでしょう。
地域のお子さんにとっては知らないよその大人でも、
大人の方はお子さんを知っていたのですね。
やがて見られているという思いが
悪さにブレーキをかけるきっかけになっていったようです。
「旅の恥は掻き捨て」という悪習は、
自分が知られていないという思いこみに発しています。
今のお子さんたちは、
自分の住む地域でまるで旅人のようになっています。
親のネットワークがすっかり消滅しているからです。
教育力というのは、
親たちがお子さんたちを見知っている地域にしか
備わらないものだと思います。